北海道の未来への投資1 「義経北行伝説 北海道岩内町の弁慶名所を巡る」

北海道の未来への投資
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協力:(一財)日本原子力文化財団

北海道の未来を創造していくうえで、北海道のアセットを見つめ直すことは重要です。北海道後志(しりべし)エリアには泊発電所がありますが、その他にもいろいろな魅力があるはず。今回は原子力文化財団(JAERO)の協力を得て、「義経北行伝説」の足跡を辿り日本海側の町「岩内町」にある「弁慶名所」を巡ってみました!

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岩内町の弁慶名所

童謡の牛若丸でも歌われているように、京の五条大橋の上で義経(牛若丸)と戦ったのが弁慶(武蔵坊弁慶)です。童話でも有名ですからそのシーンを知らない人はほとんどいないでしょう。一千本の刀を通行人から奪って集めるという祈願をたてていた弁慶は、いよいよ残すところ一本というところで、子どものような姿をした義経に敗れ、家臣となり、その後の平氏との戦いで大活躍をしていきます。

そんな弁慶の足跡が北海道には多く残されています。1189年(文治5年)の衣川の戦いで壮絶な戦死を遂げた弁慶ですが、実は義経と奥州からさらに北、蝦夷地に逃れたという伝説があるのです。江戸時代の有名な儒家である林羅山の『続本朝通鑑』にもそう記載されています。それがはたして真実なのかはわかりませんが、道産子としては興味深いところです。ということで、「JAERO特派員」として、旭川市からいざ岩内町へ!

「弁慶の刀掛岩」

朝6時に旭川市を出発して、岩内町の雷電海岸に到着したのが午前10時ごろ。高速道路をひた走り、小樽市からは下の道を通ってトータル242km走った先に雷電岬の「弁慶の刀掛岩」がありました。雷電岬の岩が刀掛のような形状をしていることからこの名前がついたようです。伝説によると、この地を訪れた義経一行が休息した際に岩をひねって太刀を掛ける場所を作ったとか。さすが怪力無双の弁慶らしい伝説ですね。

近寄ることはできず、長いトンネルが連続している最中に弁慶の刀掛岩を眺めるポイントがありましたので、そこで車を降りて撮影。確かに刀三本掛台のように見えます。日本海の荒波によって奇岩が多い地域ですが、これぞ第一級の奇岩!それにしても規模の大きな刀掛台。進撃の巨人並のスケールです!

「弁慶の薪積岩」と「弁慶トンネル」

場所は弁慶の刀掛岩とほぼ同じ場所です

先ほどのポイントからトンネルひとつ分北上すると、「弁慶トンネル」が現れます。まさに弁慶縁の地です。その弁慶トンネルの上の山肌に特徴的な岩があります。弁慶が薪を切って積み上げたものが化石となったという伝説の残る「弁慶の薪積岩」。これもまた規模が大きい。「巨大な自然の造形物=弁慶」というイメージが強かったことがわかります。

刀掛岩にしても薪積岩にしても、弁慶の戦っている名所ではなく、休んでいる場所というのがおもしろいですね!休んでいても伝説を残せるのが弁慶のスケールの大きさです。プレイの合間にゴミ拾いをして投打以外でもさらに注目されている大谷投手のよう。

これだけ弁慶にまつわる名所があるので、岩内町はさぞかし弁慶推しなのかなーと思って、道の駅に寄ってみましたが、まったくそれらしきグッズは販売されていませんでした。あったら購入したのに・・・。弁慶の寝ているシーンとかのキャラでアピールできそうなんですが。

積丹町に残る義経伝説

続いては義経の足跡を追って北上し、積丹町へ。海岸線を走ること1時間、神恵内村を越えた先に「神威岬」があります。積丹町といえば積丹ブルーと呼ばれるほど美しく青い海が有名ですが、この神威岬も絶景スポット!

「神威岬の神威岩」

神威岬の先に見えるのが、まるで人が立っているかのようにも見える不思議な岩「神威岩」です。なんと、この神威岩に義経にまつわる伝承があるのです。義経ファンの私は以前、義経が幼い頃に育った京都の鞍馬山にお邪魔したことがあるのですが、そこには奥州へ向かう前に義経が自分の背を比べたとう言い伝えが残る「背比べ石」があります。それは子ども背丈ほどの大きさですが、神威岩は40mほどの高さ。かなりスケールが違いますね。

かつて義経と恋仲となったアイヌ首長の娘・チャレンカが義経の跡を追ってこの地にたどり着き、義経が大陸に渡った(そしてチンギスハンとなったという伝説)ことを知り、身を投げて岩となったという言い伝えがあります。そのため女性が船に乗っているとチャレンカの怒りをかうため、ここから北の海へは女人禁制だったそうです。禁制が解けたのが1855年(安政2年)の幕末です。

ちなみに写真は弁慶の刀掛岩方向から撮ったもので、神威岬への道は時期的に通行止めになっており、臨時閉園でした。残念。

北の海には「宝島」

場所は神威岬とほぼ同じ場所

神威岬より北に進むとすぐに現れるのが、黄金岬の沖合の「宝島」です。上空から見るとハートの形をしているメルヘンチックな小さな島。黄金や宝は莫大な富をもたらした「ニシン」のことを指し、伝承を利用し神威岩より北を女人禁制にしたのには、ニシン漁を独占したかった松前藩の思惑もあったようです。

まとめ

義経や弁慶にまつわる伝承のある名所は、道内に在住していても知らない人が多いのでは?後志エリアの海岸沿いをドライブして、はるか昔に義経一行がどんな思いでここを進んだのか思いをはせてみるのもいいのではないでしょうか。伝説とはいえ、ロマンを感じますね!

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